信号機はたったのひとつ
らんやのある染谷という地域は自然豊かな田舎町のため信号機はたったのひとつ。
お店屋さんと呼べるようなものはほとんどありません。
そんな中で、毎週木曜日にだけ車で新鮮なお刺身を販売しにきてくれる魚屋さんがいました。
そんな魚屋さんが今年の夏、閉店をすることになりました。
私が物心ついたときはすでに販売を始めていたので、約50年近くに渡って染谷住民の魚欲を満たしてくれていたということになります。
らんやの従業員たちも魚屋さんの日は、帰り道にお刺身を買って帰るのが楽しみのひとつだったと言っていました。
とても寂しいですね。
口数は少ないが人情深い仕事人の店主
魚屋さんのメインはお刺身で、いつも新鮮でとても肉厚に切ってくれる食べ応えのあるお刺身でした。
車を止めればいつものメニューを切り出してくれるほど、お客さんの車種を覚えてくれていた店主。
口数は少ないですが、穏やかで真面目さが滲み出ていたのを今でも鮮明に覚えています。
常連になってくると奥の冷蔵庫からごそごそと取り出し「うまいところサービスしておきますから」と人情深い人柄も大好きでした。
なくてはならない存在
わかめや干物もあり、一人暮らしやなかなか買い物に行けない老夫婦には本当になくてはならない存在だったでしょう。
なんせ染谷には電車どころか、バスもろくに通っていませんから、買い物に行くには車や自転車が必須でした。
歩いて気軽に行けるスーパーなんてものはありません。
魚屋さんが来てくれることがどれだけ大きなことだったのか改めて感じますね。
お店や事業を継続することの難しさ
お店や事業を継続することがどれだけ難しいことかを考えなければいけないのは、らんやも同じです。
お店を閉める理由はそれぞれですが、どんなに人気店でも、継承者がいなければ継続することも難しいです。
そして一番大事なことは、自分たちが胡蝶蘭を通じてどれだけ多くの方の役に立てるのか。
そしてそれが出来るのは、地域の方の理解や協力があってのことだということ。
胡蝶蘭はもっと身近でたくさんの方に知ってもらえる植物です。
胡蝶蘭が日常に溢れ人々を豊かにしていけると信じて栽培しています。
そして地域の方から愛されるお店・企業を目指していきたいです。
そんなことを約50年間背中で教えてくれた魚屋さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
誰からも愛され、地元に根差した魚屋さんの話でした。